「SNS運用」が死ぬほど嫌いな理由。それは「魂の安売り」だから
- 2025-12-17
ずっと、モヤモヤしていました。
「オレ、SNSが嫌いだ」
でも、よく考えると変なんです。
だって、こうやって文章を書くことや、自分の想いを誰かに伝えることは、大好きだから。
三度の飯より好きなレベルで、言葉を紡いでいたい。
なのに、「SNS運用」という言葉を使った瞬間、胃がキリキリするような拒否反応が出る。
この矛盾は一体何なんだろう?と、ずっと考えていました。
そして今日、その正体がやっと分かりました。
「表現」と「接待」の決定的な違い
結論から言います。
ぼくが嫌いなのはSNSそのものじゃなくて アルゴリズムや他人の顔色をうかがう「接待」 です。
純粋な「発信」は、矢印が自分から外に向いています。
「オレはこう思う」
「これを伝えたい」
これは自己表現であり、アートです。だから楽しい。
でも、「運用」になった瞬間、矢印が逆転します。
「みんなは何が見たいか?」
「どうすれば数字が伸びるか?」
これって、自分の魂を削って、機械(アルゴリズム)や、顔も見えない大衆のご機嫌取りをしているのと同じなんです。
自分が本当に言いたいことよりも、「ウケること」を優先させる。
それは、自分自身への裏切りです。
人間を「数字」で測る虚しさ
「運用」の世界では、全てが数字に置き換えられます。
魂を込めて書いた記事も、数字が伸びなければ「失敗」。
逆に、思ってもいない流行りのネタを書いて、数字が伸びれば「成功」。
「自分の大事な想いが、たったこれだけの数字で測られるのか?」
そんな虚しさに、心がついていかない。
目の前にいるはずの「人間」を見ずに、画面上の「数字」を増やすゲームをさせられている。
その感覚が、どうしても生理的に無理なんです。
いや、ただ純粋に、面白くないんですよ。虚しい。
もう、「運用」なんてしなくていい
だから、決めました。
もう「運用」なんて言葉は捨てます。
フォロワーを増やすために書かない。
仲間を見つけるために書く。
結果を出すために計算して書かない。
今の自分の感情を整理するために書く。
人がどう思うかなんて、二の次でいい。
自分がどうありたいか、何を信じているか。それだけを突き詰める。
嫌いなことは、自分の才能が「それは違うぞ」と叫んでいる証拠です。
その感覚に従っていい。
アルゴリズムのための「運用」はやめて、自分のための「発信」に戻りましょう。
魂を売ってまで手に入れた数字に、価値なんてないんだから。